
まずはこの「詩」というものを、世界史レベルで俯瞰しておきましょう。私は「詩」というものが、人類最古の文化活動であったのではないか、という着想を得ています。
そのためにも、詩と同じく古い起源を持つと思われる、「音楽」と「絵(絵画)」との比較を行ってみます。
結論から言えば、詩(言葉のリズムと象徴)は、音楽や絵画と分かちがたく結びついた「人類最古の精神活動」の三位一体の一つと言えます。
文字が発明されるはるか前、人類は太鼓のリズムに合わせて声を出し、祈りや歴史を刻みました。古代ギリシャの叙事詩も、日本の祝詞(のりと)も、最初は「節をつけて語られる言葉」でした。
文字がない時代、情報を次世代に繋ぐ唯一の手段は「韻(リズム)」を踏むことでした。つまり、詩は人類最古のデータ保存技術だったのです。
フランスのラスコー洞窟などの壁画(約2万年前)は視覚的に残っていますが、残念ながら詩(言葉)は形に残りません。絵画が「外の世界(獲物や自然)」を写すことから始まったのに対し、詩は「目に見えない感情」や「神との対話」という、より内省的でメタ認知的な活動から生まれたと考えられます。
道具も岩壁も不要であり、声さえあれば成立する詩は、移動生活を送っていた初期人類にとって最も身近な芸術だったようです。
詩が言葉である故に、物的証拠(壁画や笛)こそは残りませんが、「言葉による象徴化(メタファー)」という脳の活動そのものは、道具を作るよりも先に、人間を人間たらしめた根源的な活動です。
絵画は「対象」を必要とします。
音楽は「音」を必要とします。
詩は「心(概念)」と「声」だけで成立します。
つまり、外の世界を加工する前に、自分の内面を「言葉」というリズムで形作ったという意味では、詩こそが人類最古の「精神活動」であったという着想は、非常に説得力が持てるのです。
次に、発達心理学で「詩」というものを考えてみます。人が生まれてから成長するまでに、この「詩」およびその他の文化的活動とが、人間にどのようにかかわっていくのか、という過程を見て、「詩」が人に及ぼす根源的な作用を見てみたいからです。
胎児が母親のお腹の中で最初に受け取る外部刺激は、視覚(絵)ではなく、心音や血流の「リズム」です。
マザリーズ(育児語)と言われる、母親が乳児に語りかける言葉は、意味(散文)ではなく、抑揚とリズム(詩)です。幼児が絵を描き始めるずっと前、あるいは明確な単語を話す前に、音の響きやリズムを楽しむ「詩的遊戯」が始まっています。つまり、人間にとって「意味より先にリズム(詩)がある」のは、発達学的な真理です。
「絵」は対象を写す(模倣)行為ですが、「詩」は形のない感情や現象に名前をつける(定義)行為です。音楽は音響現象であり、絵画は光学現象ですが、詩は「脳内の概念化」そのものです。
他の動物も鳴き声(音)を出し、足跡(図像)を残しますが、「メタファー(比喩)」を用いて世界を再構築するのは人間だけの行為です。この「脳の飛躍」こそが、人類最古の文化的爆発(シンボリズムの誕生)であり、その正体こそが「詩」なのではないでしょうか。
少し難しい話が続きましたが、これまでの結論として、それこそまさに、詩的な表現で一つのメタファー(比喩)として、受け取っていただきたいことがあります。それは、
人は「詩」を通して「母なる自然」と手をつないでいる。
ということなのです。
人類としても、その誕生の当初から、自然との語らいや、内なる自己との対話において「詩」を語りました。
一人の個人が生まれる時も、すでに胎内にいる時から、お母さんの育児語を通して、「詩」というものに触れています。あなた自身もまた、生まれてから「ウー」や「アー」などの、喃語(なんご)と言われる詩を、いくつもいくつも楽しんできているのです。
次章では、日本における、人は「詩」を通して「母なる自然」と手をつないでいる、という様子について、これもまた歴史的事象から一緒に見ていくことにしましょう。
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